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江戸時代におけるお七夜とは

赤ちゃんが生まれて最初に行われる行事がお七夜というものになります。

そんなお七夜は一体どんなような歴史があるのでしょうか。

 

また、時代によってどのように変わってきたのでしょうか。

ここでは、お七夜の歴史について触れつつ、江戸時代におけるお七夜について紹介します。

 

お七夜の歴史

実は、お七夜の由来というものははっきりされていません。

もともと、平安時代で貴族の間に子供が生まれると、その生まれた日が初夜、3日目が三夜、5日目が五夜、7日目が七夜、9日目が九夜とされ、奇数の日に出産を祝う、「産立ちの祝いという行事があったとされています。

 

それが江戸時代になり、今度は「七夜」だけが残りました。

昔は今のように赤ちゃんの生存率が高くはなく、新生児が1週間以内になくなってしまうということも多かったため、1週間経ってから赤ちゃんのお披露目をするということもあり、お七夜は大切な節目とされたのです。

 

江戸時代に庶民の行事となった

平安時代には既に存在していたとされるお七夜ですが、もともとは貴族の行事でした。

 

しかし、江戸時代には庶民の行事となったと言われています。

赤ちゃんの生存率が低く、1週間経ってやっと安心できるようになったというのは貴族も庶民も変わりません。

 

また、お食い初めという行事ももともとは貴族のものであり、赤ちゃんに実際にお餅や魚を食べさせながら盛大にお祝いされていましたが、江戸時代のあたりで今のような赤ちゃんに食べさせる真似をするという形が出来上がり、庶民の行事として親しまれるようになったと言われています。

 

地域性のあるお七夜

生まれたばかりの赤ちゃんは、地域の産土神(うぶすながみ)に命を委ねられると考えられていました。

 

この神様は命が誕生してから死ぬまでを守る神様だとされています。

そして生まれた赤ちゃんは7日目に、初めて人間の子だと認められると信じられていました。

このような考え方もお七夜の背景に存在します。

そんなお七夜は北海道や九州ではあまり親しみがないとされています。

 

また、最近ではお宮参りと合わせて赤ちゃん誕生をお祝いする人も多く、お七夜を簡略化するという家庭も決して少なくはありません。

インターネットの普及により、SNSなどを通じて赤ちゃんの誕生と同時に赤ちゃんの名前を報告するという人も増えましたよね。

そのため、お七夜には地域性があるとされているのです。

 

まとめ

いかがでしょうか。

お七夜は確かに伝統ある日本の文化ですが、江戸時代になって今のような形が整ったというのも面白いですよね。

 

医療技術の発達により赤ちゃんの生存率が上がったものの、赤ちゃんの生存率が100%では無いのは今も昔も同じです。

ぜひお七夜の文化を大切にしていきたいものです。